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【HANA】ファイナルでのやわらかな反論 <第4話/全4回>

  • 執筆者の写真: kazue oodaira
    kazue oodaira
  • 3月3日
  • 読了時間: 4分

更新日:4月2日




 プロデューサーちゃんみなや、ノノガという企画の特異性について触れてきた。ここでは、最終審査の場で“華”であった参加者について、もっとも感じ入った場面を記したい。

 それは、ひどくささやかな瞬間だった。

 しかし、自分に中指を立てず、NoをYesに変える挑戦を後押ししたノノガは、言いなりでも聞き流すでもない、”自分の言葉を使う”ガールズグループを、とうとう作ったんだなと強く確信した場面でもある。


 集団の中でひときわ明るく、つねにムードメーカーとして仲間をひっぱってきたKOHARUに、パフォーマンス後、辻岡アナウンサーが「いろんな思いもあったのでは」とインタビューした場面がある。

それはおそらく視聴者の誰もが感じていたことだ。

 KOHARUは、「でも自分は楽しくて、ああなっちゃっていた(ムードメーカー的な役割をしていた)ので」と、さらりと笑顔で返した。いわば、そう心配されることは多いが私は大丈夫で、利他の精神だけでなく自分のためにもこの環境を楽しんでやっていたのです、という、やわらかな反論である。自分の言葉で、必要なノーはノーと言う清々しいたくましさを感じた。


 あるいはJISOOのインタビューで。

韓国からの参加で大変なことも多かったのではという問いかけに、ニコニコと笑いながら「多かったんですけど、もう大丈夫です」と、OKのハンドサインを見せた。彼女も同様のことを多くの人に気遣われてきたに違いない。ありがたいが、自分の挑戦にとって、それは一部であり、もうそのことに関して心配はいらないのですよという気持ちが伝わった。

 ふたりに限らず、デビューすれば、何十回何百回と彼女たちは同様の場面に出くわすだろう。しかし、世間の決めた枠にはめられそうになったら、自分で打ち破るだろうし、立ち止まらない。イエス・ノーをはっきりと自分の言葉で語るにちがいない。


 再三ちゃんみなから「表情の乏しさ」を指摘されていたYURIは「No No Girls THE FINAL」でトリを務め、優雅にほほえみ、刺すように睨み、声を振り絞って亡き父への感情を爆発させ、少女のようにもセクシーな大人の女性のようにも、めまぐるしく変化させていた。

 5次審査までは言葉少ない印象だった彼女は、パフォーマンス後のインタビューで最後に、会場の左右を落ち着いた眼差しで見渡しながら「生きていく中で辛いこともたくさんあると思うんですけど、弱さを隠さず、自分らしく一緒に生きていきましょう」と呼びかけた。審査をされる側の人から、こちらが励まされるノノガの新しさをあらためて実感した。


 最年少ながら、「線香花火を走り回ってやる」「ステージに絵を描く」「組体操」「ステージを飛ぶ」など次々とステージ演出のアイデアを提案するMAHINAも。ソロ審査の楽曲を決める際、「私が歌い踊っている間は(聴いている人は)ネガティブな感情は一つもなしにさせたい」と明確にビジョンを伝えたNAOKOも。自分の言葉を持つアーティストの清々しい強さはまぶしく映った。


キムパの母


 最後に、配信で深く心を動かされた光景を記したい。ささやかだが忘れがたい場面だ。

 5次審査後、JISOOとNAOKOが同じ宿舎に住んでいた。JISOOの母親が来日し、韓国の巻き寿司キムパをふたりにふるまった。できあがったキムパを勧めながら、母親は最初にキムパの切れ端を食べた。2秒にも満たない場面。巻き寿司の端は、具材がいびつで見た目も良くない。逆に具材が多いので好んで食べる人がいるとも聞くが、私にはそうは見えない。

 いびつな端を先に食べる親の姿を見て、不意に涙が込み上げた。こんなふうに一人ひとりに家族がいて、人生がある。


 私たちはオーディション番組というと、目先の優劣で一喜一憂し、結果のわかりやすい表面的なエンタテイメントとして楽しみがちだ。語弊があるかもしれないがときにそれは、アーティストではなく、大衆に受ける消費の対象として映ることもある。

 しかしひとりひとりが、あちこちに頭をぶつけながら1年かけて自分を見つけ、成長していくノノガの過程には、かけがえのないまったく別のものが宿っていると思えてならない。

自己肯定、自己開示、痛みも含めて過去の自分も愛する強さ。自分を支えてくれているものや生きている社会に目を向ける視野。借りてきた表現ではないオリジナリティ。

 唐突に見えるかもしれないが、ノノガが何を大事にしてきたかを、私はあのキムパの端を食べた母親の姿から感じたのである。それをむりしてひとことで現すとすれば、愛だ。すみずみまで愛にあふれたオーディションであった。



 日本では、放課後子どもが一人で習い事に行ける治安に恵まれた環境がある。ダンススクールやヒップホップ教室は、ダンスの必修化、K-POPやTikTokの影響、ブレイキン競技などによって全国的に急増している。だからSKY-HIは断言する。世界に通用するものすごい数の才能が「絶対に眠っている」。

 歌って踊れてリリックが書けてラップを刻める。過去に落選したオーディションで言われた「理由は体型」「スキルより外見」をそのまま歌詞に落とし込み、楽曲に昇華するような、これまでにないとてつもない才能が生まれる瞬間を、目撃した。忘れられない一日になった。



※4回にわたり連載した『現在ビジネス』/『FRaU web』(講談社)の原文を、編集部の許可を得て転載しています。

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