【HANA】Noのために戦うガールズグループ HANA 誕生を支えた、前例のない「民主的」なオーディションが私達に伝えるもの <vol.1/全4回>
- kazue oodaira
- 2月21日
- 読了時間: 7分
更新日:4月2日

「ノーノーガールズ・ザ・ファイナル」を、Kアリーナの会場で観た。前例のない民主的なガールズグループオーディションのありかたに、スタート時から心を動かされていたからだ。もっといえば、長い芸能の世界での違和感から生まれたSKY-HI率いる、BMSGの試みの視座に大きな興味があった。
見た目や年齢などでノーを言われてきた女の子たちが、新しい価値観で支持され、日に日にファンが増えていく。Kアリーナのチケットは2万人のところを5万人が応募した。
音楽業界と、ガールズグループに人々が求める価値観に、なにかとてつもない大きなパラダイムシフトがおこるという予感が、ザ・ファイナルの会場に足を向かわせた。
***
4回にわたり連載した『現在ビジネス』/『FRaU』(講談社)の原文を、編集部の許可を得て転載します。
【第1回】
全権、委託されたちゃんみなの年齢に抱いた違和感
25歳という企画発足時のちゃんみなの年齢に、若干の違和感を抱いた。SKY-HIが、ガールズグループオーディションのプロデューサーの全権を、ちゃんみなに託すというニュースを見たときの印象だ。おそらくひと回りも離れないであろう若者たちの、人生を左右する決断が彼女にできるのかと。
ふたりの対談では、ちゃんみな自身もその点で躊躇し、「自分もまだ新人のようなつもりでいる。私にできるのか」「まだ早い」と思っていたと明かしている。
しかし、いざ始まると、ガールズグループ・オーディションプロジェクト<No No Girls>のYouTube配信第1話から、ちゃんみなの腹のくくり方は別次元であった。配信ではとりわけ、審査のたびに発生する不通過への参加者に対するコメントに、深い責任感が通底していた。
「今後どうなりたいとか自分がこういうふうに協力してほしいというのがみえるんだったら遠慮なく言って欲しい」(4次審査後)、「みんなの背中を最後まで押す人でありたいというのが私の目標であり、ゴール」(最終審査前)。「明日の審査後、もし落ちちゃったとしても、みんなのことサポートしようと思っている」(4次審査前全員に)。
綺麗事でも、予定調和でもない。一人ひとりに寄り添いながら、「絶対に手を離さない」「泣きたいときは泣いて。怒りたいときは怒ってほしい」と繰り返した。
芸能の常識、狭義の「才能」と戦ってきた女性たち
募集時の宣言通り、体重、年齢、身長は不問。重要なのは声。そして何に対して「ノー」と言われてきて、自分は何に対して「ノー」と言いたいのかを、繰り返し問いかける。「ノー」の輪郭が曖昧な参加者には、執拗に。歌やダンスが上手くても、自信が足りない人には、深く鋭く。
そして、Kアリーナ横浜での<No No Girls THE FINAL>(1月11日)を現場で鑑賞し、私はますます猛烈に、年齢や経験値でものごとを図ったかつての自分を恥じた。
オーディションの最終審査を2万人の有観客で、5人1組でのグループとソロステージとで実施。デビューグループ決定という前代未聞のイベントは、もはや「審査」を超えて、圧倒的に美しい魂の「ショウ」だった。
ルッキズムや、これまでの芸能の常識、狭義の才能というものさしと戦ってきた女性たちが、自分の痛みをさらけ出し、「これからはこう生きていく」「あなたにそれを伝えたい」と誇らしく歌い、踊り、ラップを刻み、一人ひとりが輝いていた。
奇しくも、会場で感想を求められたボーカルコーチの佐藤涼子さんが「神聖」という言葉を用いた。まさしく、10人のステージはどれも神々しかった。
ゲストライブ中、倖田來未さんが「こんな大きな場所でライブをやるのに私は9年もかかった」と冗談まじりに言ったが、アリーナという空間で、4階アッパースタンドの最後部に近い私にまで、ステージから発光する神々しい特別な光に包まれた。そんな体験は初めてだった。
4時間半後。
芸能史──この言い方も前時代的だがあえて──を塗り替える節目を、確かに目撃したという共通の興奮に包まれながら帰る観客たちは、口々に「もうこんな時間だったんだね」「あっという間だった」と語り合っていた。
会場は、男も女も老いも若きも泣いていた
デビューメンバー発表の最初に名を呼ばれたCHIKAは、事務所を転々としてきた。卓越した歌唱力で、アレサ・フランクリンを彷彿とさせるソウルフルな高音から、的確に刻む低音ラップまで無二のスキルを感じるが、体重や外見を理由に落とされることが多く、「自分に自信が持てない」と第一次審査の対面では、ちゃんみなとSKY-HIに伏し目がちに語っていた。
最終審査後のコメントで、ちゃんみなは言った。
「来てくれてありがとう。CHIKAを逃してくれた人もありがとう」
動画で見知っているのに、会場でCHIKAが彼女の『美人』(ちゃんみなの楽曲)を聞いたとき、その声が会場全体を揺さぶり、空気がビリビリと共振するような感覚をおぼえた。周囲の客がしきりに涙を拭っている。デビュー前の無名の20歳が、4階席まである会場の空気をひとりで堂々と支配していた。
「デビューしても絶対に口パクを許さない」と語るちゃんみながプロデュースするグループのために生まれてきたようなアーティストだ。
熱唱後、暗転した舞台で自信に満ち溢れた強い眼差しで、カメラをまっすぐ見据えた。それまでの苦しみがこの瞬間のためにあったと、本人が最も理解している表情だった。
たった1曲が映画の2時間、3時間ほどにも感じられる人生の物語を内包している。
それが10人×10曲。
隣に21、2歳のカップルが座っていた。彼女の方はすでに黒字にピンクのノノガグッズのタオルを首にかけている。彼氏は「終わったら食べる店やってないよね」と、しきりに終演時刻を気にして、バッグの菓子やジュースを点検している。どうやらお付き合いで連れられてきたらしい。
その彼氏が、ソロ審査のトップバッターMOMOKAの『PAIN IS BEAUTY』で、そっと指で涙を拭った。ふたり目MAHINA、3人目KOKONAでも鼻をグズグズ言わせ、とうとう4人目CHIKAで、意を決したようにバックパックからハンカチを取り出し、膝に置いた。私はなんとなく、ちらちら横目でチェックしていると、結局10曲泣き続けた。隣の彼女より泣いていた。かくいう私も、MOMOKAからこみ上げるものを抑えきれなかったことが、7、8度。あとからXを検索すると、号泣の文字があちこちに踊っていた。
わたくしごとながら、ちゃんみなは自分の息子より2歳下である。ヒップホップという音楽に興味を持ったのは、バッドホップを描いた『ルポ川崎』(磯部涼著,2017)が最初だ。つまり、ラップも韻もライムもパンチラインも、人生の大半を知らずに生きてきた新参者である。
2万人の中には、そんな人も多かったのではないか。ちゃんみなのファン以外、ラップという、魂がこもっていないと全く伝わらない情動あふれる深くゆたかな音と言葉のあそびの快を、ノノガやBMSGのアーティストやCreepy Nutsで最近知ったという人が。
音楽というアートは、年齢で測れない。26歳だろうがなんだろうが、ちゃんみなの言葉を借りれば「死ぬ気でやってる」人が残る。才能を見出す側も見出される側も、きっとまた。その「死ぬ気」が2万人に伝わるから、隣の彼氏は涙が止まらないんだろう。
迎合よりも「自己肯定」
<No No Girls THE FINAL>チケットは完売。急遽1月12日(日)14時よりアーカイブなしの1回限定で配信され、同時接続が56万人を越えた。Kアリーナ横浜の会場では、親子連れから白髪のご夫婦まで見かけた。
広瀬アリスさん、伊藤沙莉さんのほか、自腹でチケットを取ったという俳優の加藤諒さんなどがXで当日の感想を次々発信。デビューグループ「HANA」の初出演テレビ番組『シューイチ』(1月19日/日本テレビ)では、出演回でない タレントや報道記者がスタジオ見学に駆けつけていた。
その後も、「#ノノガファイナル」がXトレンド1位を獲得、HANAの公式SNS総フォロワー数は67万人(1月19日午前8時時点)を超えた。
なぜ、このオーディション企画が、世代を超えて人の心を捉えるのか。
私が最も強く惹きつけられた新しさは、企画に一貫して流れる“民主性”だ。小難しいことを言うつもりはない。だが、ひとことで集約できるものをさまざま考えた先に、どうしてもすべてを包括するこの言葉に行き着いてしまう。
「民主」とは、「1.その国の主権が国民にあること。2.人間の自由や平等を尊重すること」(『大辞泉』小学館)。
“国民”“人間”を、“参加者”に置き換えると、すべてがあてはまる。
たとえばノノガのスローガンのひとつ「No HATE 自分に中指を立てるな」は、自分自身を大切にする、信じる、過去も含めて自己を肯定する、自分を愛することを意味する。とかくオーディション企画は、巧みに主催者側の求めるものに迎合する能力も求められがちだ。だが、ちゃんみなは自分の人生を肯定しよう、そこから審査が始まるのだとメッセージする。
