届かなかった手紙ふ

原爆を開発した約3000人の科学者のうち、ユダヤ人を中心とした70人が

無差別無警告にヒロシマの住宅地に原爆を落とすべきではないと

大統領宛に署名をし、軍事郵便で配達された。

しかし、その手紙は上層部の作為で

トルーマンには届かなかった。

訳された署名の文章は

職を賭して強く投下禁止を訴える、魂のこもった内容だった。

2017年、私はアメリカに渡り、

90代の署名科学者らに取材。

署名の行方と、アメリカでの原爆の捉え方の今を追った。

しかし、そんな科学者やその関係者をもってしても、最後に誰もがこう言った。

「でも、原爆がなかったら戦争は終わらなかったでしょ?」

アメリカの教科書にもそう書かれている。

日本軍がアジアでしたこともまた。

原爆を落としたかった人は誰なんだろう。

原爆の日。是非ご一読ください。

届かなかった手紙

〜原爆開発「マンハッタン計画」科学者たちの叫び

大平一枝著 (角川書店)

※カバーは署名の複写です。装丁は松田行正さん

想いはひとつ

中国翻訳版が届いた。(左)

私も忘れていたような、小さな小さな

サブカットを表紙にしていた。

美しい栞(次ページ)が挟まれていて

国も言語も思想も何もかも違っても、

1冊に込める装丁者の想いはひとつなんだなと思うと

胸がいっぱいになるのだ。

帯の漢字から想像するコピー、ふむふむ。大都会里炊食男女的秘密基地、私蔵好物…。

転機

 

 随筆家で家事評論家の吉沢久子さんが、
101歳で鬼籍に入られた。

 『新潟日報』に50年、連載を続けた。
家事という同一のテーマで、50年!

 連載時、自分のお金で新潟日報を購読していると、ご本人から聞いた。

 版元から送られてくるのに何故ですか?ときくと
「投書欄を読むためです」。
 献紙は、執筆の回しか恵贈されない。
 愚問だった。

 投書を読めば、新潟の人の「いまの暮らし」がわかる。
中央にいるだけでは見えないものが必ずあると、つねにおっしゃっていた。

 わたしは台所を取材して6年目になる。
 恥を承知で告白すれば飽きかけた時もあったし、予定調和で雑にまとめた時もなくはなかった。
 吉沢さんの言葉をきいて、とても恥ずかしくなった。どこかで知った気持ちになって、書いていた。

 間違い無く、吉沢さんこの言葉は、自分の仕事の姿勢を変える大きな転機になった。

 『暮しの手帖』をはじめいくつかの雑誌で取材。
 拙著『あの人の宝物〜人生の起点となった16の物語』(誠文堂新光社)で、
聞き足りなかったことをたくさん伺えた。

 90代になられても、どれだけ聞いても疲れた顔一つ見せず
真摯に質問に向き合ってくださった
日本で最初の「家事評論家」。

 書き手としての姿勢に胸打たれた、
人生の先達である。合掌。

新刊カバー決まる。

61433_信州おばあちゃんのおいしいお茶�うけ_high

長野の春夏秋冬を追いかけながら、おばあちゃんたちのお茶うけを訪ね歩いた『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ: 漬け物から干し菓子まで、信州全土の保存食110品』(誠文堂新光社)が7月9日発売に。カバーも決まり、今は、大きな祭りが終わった後の心地よい脱力感に包まれている。世間の皆様がどう評価し、どう読んでくれるか。それはもう委ねるしかなく、なすすべはないが、やることはやった。やりきった。すべて撮り下ろしで、何度も長野に行かせてくださった版元の懐の深さに感謝している。もうこんなていねいな、手間のかかる本は作れないのではないかとさえ思う。奇跡のように貴重な体験だった。
装幀は前々著『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)でもご一緒だった斉藤いづみさん。カメラは長年の相棒、安部まゆみ(あだ名:安部巨匠)、編集は誠文堂新光社の至田玲子さん。取材はいつも、行きも帰りも笑いっぱなしの食べっぱなし。毎日、漬け物と寒天や干し果物で、取材に行くと肌と腸の調子が抜群によくなるという、長野の長寿の秘密を身をもって体験した。14冊目の著書。人事を尽くしたので、あとは天命を待つ気分である。