『dancyu』で4年前、宇都宮のコボリ洋菓店 @kobori1969 を取材した。町の人が愛する洋菓子店という特集だった。
後半、取材に合流したのが、料理家の小堀紀代美さんだ。そこで初めて実家であると知った。
2代目を継ぐ11歳下の弟。今は引退して町の顔役として忙しい創業者の父。
ふたりを見守るまなざしのあたたかさ、慈愛に満ちた静かな語り方が、不思議と深く印象に残った。
私よりいくつも年下なのに、全てを包み込む、まるでこの家のお母さんみたいだな。
そう思ったのだ。ほんとうに。
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20年前に母を亡くした。がんとわかった時には余命2ヶ月であった。
本人に知らせたくない一心で、母のきょうだいにも言わず、2ヶ月間、母のご飯を作り続けた。
それでよかったのか、自分の振る舞いのあれは、これは。今も答えが出ていない。
『それでも食べて生きていく 東京の台所』の取材をした夜、彼女からメールが来た。
あの2ヶ月間の献立帳が出てきました、と。
食が細くなる母の記録をするのが辛くなり、書くのをやめてしまったという最後の日のページの朝は「おかゆ、梅干し、山椒」。
昼は「にゅうめん」。
追撮に行くと、青いボールペンの文字が揺れていた。
喪失と再生というテーマに、紀代美さんは別れ際、こんな言葉を添えた。
「もし、大切な人を亡くした人がいたら、同じように悲しんでいる方と、たくさんその方について話すと良いと思います。みな、気を遣って、亡くなった人について話さないんだけど、話したほうが救われるんですよね」
以降私は、本書の取材で出会った人々に、受け売りのその言葉を、伝道師のように伝え歩いた。
第一印象の凪のような静謐な優しさは、痛みを経験した人の強さに裏打ちされた美質だった──。
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○1月19日(木)、19時半〜
「連載10年で気づいた取材現場の本質」
(書店B&B)
新刊イベントでは、後半、小堀紀代美さん に僭越ながら
取材を受ける側から見た『東京の台所』、
そして、話すことで感じた心の変化を伺います。お母様の急逝が実は
料理家になるきっかけを遠くで作っていたことなども。
お申し込みはこちらから。
書店B &B
(写真)
20年前の献立帳を探す小堀さん。
献立帳。