「お、そのジーンズ、足が細く見えるじゃん、似合うねえ」と娘に言ったら、
「もうすぐ受験だからって、燈子を盛り上げるキャンペーンやめてくれる?」とひくーい声で言われた。バレてるし。
味噌の寒仕込み
23時。やおら味噌造りを始める。こういう寒い日が続くと、雑菌が繁殖しないので都合がいいのだ。
1日水に浸してあった山のような大豆を小分けにして、圧力鍋へ。
そしてただひたすら、すりこぎでつぶす。麹と塩を手でよくもんで、つぶした味噌を混ぜ合わせ、味噌玉を作る。
空気を抜くため、たたきつけるように桶に玉を投げ、平らにしてうっすら塩の蓋をしたらできあがり。
深夜2時には5キロ分の味噌の仕込みが終わった。
これで家族4人分、1年間は味噌に困らない。なんてラクチンなんだろう。手作り味噌というと大仕事のようだが、5キロとかだと数時間もかからない。
こんなに簡単でとびきり旨い保存食って、ちょっとほかにないのでは。しかも誰がやっても失敗はない。麹と豆と塩が勝手に旨みを作り出してくださる。
ラジオ『深夜便』を聴きながら、無心になって大豆をつぶし続ける。集中できる静かな時間。真夜中の味噌造りもいいもんだ。
月島
月島のお菓子屋さんを取材。
長屋の一角で、ていねいな焼き菓子を作っている。引き戸を出て3歩で東京湾が。
町内会の掲示板には、餅つき大会と訃報が同居。
同じ東京だけれど、まったく違う文化と風土を感じる。
たまに行くと長居をしたくなる、独特の空気をまとった街だ。
生きていれば。
がりがりと朝の締め切りに向かって深夜、眠い目をこすりながらパソコンに向かっているとき、宝物みたいな言葉がメールにのって届いた。
生きていて良かったと思うような、心の晴れる出来事だった。
先日、息子が塾で教わった先生が自ら命を絶ち、彼を偲んで母親たちで雪見酒をした。若くて、きれいな顔立ちをした人だった。塾講師の傍ら、ヒット曲を書く作詞家でもあった。あの先生の夢はなんだったんだろうと、息子のような年齢のその人を偲び、私たちは昼間から杯を傾けた。
ふっと思った。生きていれば、生きてさえいればあの人にだって、いいことがあったに違いない。来年生ききれる自信がなくても、明日生き抜けるくらいの元気をもらえる小さな嬉しい出来事は、生きてさえいれば誰にも何度かあって、そういう小さなことに支えられて人はどうにかこうにか、この息苦しい世の中を歩いてゆけるのではないか。先生、なんで?嬉しい気持ちと切ない気持ちが一緒くたになって変な興奮状態のまま、気づけば朝焼けを迎えていた。