児相の記憶

30年余り前、私は社会福祉系の短大を卒業して、名古屋市の児童養護施設に就職をした。これは、親の養育に欠ける3歳から18歳(当時)までの子どもの養護をする場所である。


児童は、児童相談所(以下児相)に一時保護された後、しかるべき施設に振り分けられる。児相の判断で、家庭に戻る子どももいれば、そののち、里親に委託される子どももいる。


私が知る限り、児相には、ひっきりなしにありとあらゆる子どもの問題が寄せられ、つねに、全く人が足りなかった。


子どもの面談だけでなく、親やときに警察の対応も果てしなく続く。
乳児院、少年院、児童養護施設、ときに知的障害者施設など、正しい聞き取りと協議の末に、判断され、間違いは許されない。一つ一つの案件に克明な報告書を要し、私達民間施設の職員とも綿密な連携が求められる。


虐待、子ども自身の暴力、ネグレスト、不純異性交遊……。子どもをとりまく問題に、休みも深夜の区別もない。
私が勤めていた頃は、児相は夜勤体制で、暴力や恐喝など、外で問題を起こし、児相に一時保護される子が毎日のようにいた。


そして、たしか女子中学生だったと思うが、不純異性交遊で一時保護された子が、逃走しようとして名古屋市の児相の職員を刺殺した。私の勤務先の施設には、会議などでその職員と面識のある同僚もいた。
児相とは、ときに命の危険にさらされる場にもなると、そのとき知った。


新卒で、児童福祉の世界に飛び込んだひよっこの私は、なんというところに就職してしまったんだろうと恐怖を抱いた。児童福祉の現場はもっと、愛にあふれたあたたかな仕事だと甘い幻想を抱いていたのだ。(甘くはないが、子どもたちの日々は楽しかった)



年単位の担当制で子どもの指導にあたれる施設職員と違い、
代わる代わる入退所する子どものケアをする児相の職員は、みな疲弊していた。


ひとりがたくさんの作業を抱えていた。それでも、熱意を持ってとりくんでいて、だからこそ彼らの体や精神が、心配になった。ハタチそこそこの若造の私の目にも、それはあきらかにキャパオーバーだとわかった。
慣れた頃には異動する公務員としてのサイクルも、はたから見ていて歯がゆかった。


何十年も前の話と今を、安易に比べることはできないし、千葉の児相で実際に何が起きたのか、私は把握していない。


ただ、痛ましい事件を周囲の大人や公共機関、関わった人の責任問題にして終わることだけはやめるべきだと思う。



引き渡し後、訪問をしなかった理由。
しなかったのか、できなかったのか。
できなかったとすれば、なぜか。
そこに人員配置のむりはなかったか。
あるいはただの怠慢だったのか。
本人が、「父親の暴力はなかった」と記した書類の真偽を、どう計ればよかったか。

痛ましい出来事が起きた背景と理由を丹念に調査分析し、全国の児童福祉の現場で共有せねばならない。


そして、もっともっともっと、児童福祉の現場に人を増やさねば、根本的な解決にはならない。
そのためには福祉に予算を、という大きな話になるが、
後回しにしてはいけない時代になっている。


キレる大人も、泣いている子どもも、自分の住む街に、自分の想像のきっと数百倍はいる。