ほんのいっぷく/ログ

 第1回『ウエブは苦手だった…。』2004.3.31

 今日は第1回目で、ちょっと緊張している。ほんの半年前までは、自分がホームページを持つなどとは、予想だにしていなかった。ホームページを考えもしなかった理由はいくつもある。

一、とても難しそう。パソコンは原稿を打つのと、メールと、ネット以外、使いこなせないコンピュータ音痴ゆえ。

二、始めたら始めたで、気になって本業の仕事がそっちのけになりそう。

三、原稿料がどこからも出ないので悔しい。

四、どんなにこだわって書いても、更新すると画面から文字が消える。どこか頼りなく、心もとない。

 紙媒体の仕事がほとんどだが、唯一、ウエブの仕事でいただいていたのが、朝日新聞のサイトのコラム連載だた。それがある日、終了するかもしれないという連絡が、突然入る。
 なくなると聞いて、初めて「ウエブで書く」という作業のおもしろさを再認識した愚かな私である。その魅力を挙げてみたい。

一、書いて、公開するのに世界一早い媒体である。
・・・週刊誌でも新聞でも、必ずタイムラグはある。ところがウエブは今思っていることを、ボタンひとつで瞬時に世界に公開できる。これは改めて考えてみると凄いことである。

二、好きな写真も合わせて表現できる。
・・・素人写真ながらも、拙い文章をビジュアルで補えるのは嬉しい特典だ。

三、読者も近くに感じるし、いろんな意味で生々しい媒体だ。その生々しさに、たまらない魅力がある。

 仕事のコラムが終わるのなら、自分のホームページで再開しようと思いたち、同じコーポラティブハウスに住むデザイナーのチャミさんにデザインをお願いした。…と思ったら、朝日新聞から、コラムをリニューアルして続行したいと連絡が入る。あらら。
 もう、乗りかかった船だ。ホームページも仕事の連載も最後までやってやろうじゃないの。ホームページなぞ誰に頼まれたわけでもないが、自分の中のパッション(この言葉、最近ものすごく惹かれます。「ゆるゆる」とか「プチ」という言葉の反対側な感じがいい)がはじけた。
 
 そんなわけで、本欄は、仕事のコラムでは書くことが難しい固有名詞や商品名などをどんどん出しながら、暮らしや、暮らしをめぐるデザインのことや、雑貨や、ホームグランド・下北沢のことを書いていこうと思います。どうぞよろしく!

 

 第2回『1台2役、3役ずき』2004.4.6

 狭いところに住んでいると、家具や場所をとる暮らしの道具は、できるだけひとつで二役も三役もこなせるものを求めてしまう。そういうせせこましい目で探していると、使い勝手が悪かったりなんだりで、失敗の買い物も少なくない。二兎追う者は一兎も得ず、である。いや、なんだか、たとえがちょっと違うが。

 ずいぶん前に、家事について二人の主婦と話していたら、「全く同感だ」と言われた。
 三人に共通する「ひとつで二役以上の機能を求めるもの」の筆頭は、「キッチンのゴミ箱」だった。容量があって、匂いもカットして、邪魔にならずに、踏み台になること。そういう高い目標をもって、キッチンのゴミ箱を探しているので、なかなか見つからないのと、ひとりが嘆いていた。そして、彼女はつけくわえた。
「でも私、あらきめないわよ。そのへんのチャチなゴミ箱で妥協しないわよ」

 ゴミ箱は、本当にキッチンに絶対必要なものなのに、その置き場所をあらかじめ設計された家やマンションは少ない。わがやのような狭い集合住宅では、悩みの種でもある。いきおい、ゴミ箱にもなって、踏み台にもなるような二重機能を求めてしまうことになる。

 三年前、私はついに、近所の雑貨屋で理想のゴミ箱を見つけた。30リットルのスチール缶で、蓋をすると椅子になる。私は、椅子ではなく踏み台にして、上の収納棚にしまった食料を取り出すのに毎日使っている。4歳の娘の、料理を手伝うときの踏み台にもちょうどいい。

 そういう、一台複数役を求める目で買い求めて、最近稀に見るヒットだったのが、ゴミ箱以外にもうひとつある。
 こちらはホンモノの踏み台だ。麻布の古道具店「さる山」で衝動買いして、かついで地下鉄に乗り持ち帰った。なんのへんてつもない昭和の古いものだが、ふき掃除をして磨いたら生き返った。今は、小机にも、サブ食卓にも、ソファ横のエンドテーブル代わりにも変幻自在でとてもたのもしい。
 小ぶりで、軽くて、持ち運びにも楽。「二段」ついているというのがミソで、お茶の時間などは上にグラス、下に菓子鉢を置くのにぴったりだったりする。

 最初から「収納庫付きベット」のような「収納兼道具」ではなく、あらかじめ決められた用途以外の使い道を探すのが楽しい。

おそらく、この狭い国の女性の多くは、そういう一台二役が嫌いではないのでは。
 次は、子どものオモチャ兼絵本兼道具箱入れを探している。私も、いつかの友達のひとりごとのように念じながら。
「あきらめないわよ」      

 1台2役のキッチンのゴミ箱。

 

昭和のジャンクな踏み台わが家のサイドテーブルです。

 

 第3回『再会』 2004.4.22

 もう使っていない古いアドレスに、一通のメールが届いた。
「先輩お元気ですか。今度、小さな会社をまかされることになりました。ちょっとお聞きしたいことがあるので、会っていただけませんか」 学生時代の文学研究会というサークルの後輩、I君からだ。私はその大学の短大に通っていて、彼は経済学部だった。社会福祉を学ぶ小さな大学だったが、同人誌を作っていた当時のサークル仲間の多くは、秘かに書くことに携われる仕事、たとえば出版関係などを目ざしていたように思う。

 そんななか、彼だけは、書くことにも福祉にも一切興味がないかのように、早くから一部上場企業を目指して就職活動。その後、首尾よく自動車メーカーに就職したときいた。I君だけは何の未練もなく、書くことから遠ざかったという印象がある。
 そんな彼から十年ぶりに連絡がきたのだ。メールに書かれている会社の名前には見覚えがなかったが返事を書いた。

 そうしてメールのやりとりがゆるやかに始まり、彼の親会社は、AVビデオを製作していることなどを知る。

 どうしてAVなのか。なぜ、勤めていた企業を辞めたのか。書くことはもう完全にやめたのか。

 メールではつっこんだ話もできぬまま、しばらくして再会することになった。
 
 指定したカフェに、部下をともなって現れたI君は、きちんとしたスーツにネクタイ姿。20代と思われる部下の男性も、言葉遣いから話す内容までじつにきちんとしていて、AVビデオという言葉から連想されるこちら側の勝手なイメージは心地よく裏切られた。この青年ならどこの企業でも欲しいというだろう。真摯な姿勢はそう思わせるのに十分である。社員教育がゆきとどいているのだろう。「今度、出版部門を立ち上げることになりまして」


 ひととおり親会社のことを聞いた後、自分のまかされている会社について話し出した。
 ああ、そうかと、そのとき

初めて合点がいった。 商材やテーマがAVだろうとなんだろうと、彼は書くことに関わる業態にたどりついたのだ。自動車メーカー、金融関係。十数年、いろんな回り道をした結果、出版の仕事を始めようと今、彼はここにいる。


 その会社がこの先どうなるか、私などには予想もできないが、好きな仕事をしている彼の表情は理屈抜きに輝いていて、少しも老けていないことに驚かされた。

 心のどこかに、活字への憧憬があったとしたら。そしてそれを十数年忘れずに持ち続けていたとしたら、それはそれでとても素敵なことだと思う。大人になればなるほど、いろんなことをあきらめたりするのに、理由をこしらえることが簡単になる。「好き」を持続させるエネルギーもすり減りがちだ。


 なんだか、気持ちだけ学生時代の頃に戻ったように嬉しくなってしまった。
「じゃあまたね!」
 とりとめもない話をいくらでも出来た、夕暮れ時のサークル室を思い出しながら、カフェをあとにした。私も頑張ろう。あんまり素直にそう思えたので、帰り道にひとり苦笑してしまった。

 

梅

自分もやっていたので、じつは同人誌ずき。最近、愛読しているのは「四月と十月」。
画家の牧野伊三夫さんが発行人の、ニュートラルで無垢な書物です。
                                 

 

 第4回『至福のタオル』2004.5.12

 いつの頃からか、タオル好きになった。百貨店に行くと、たいてい家庭用品売り場に寄って,買う気もないのに値踏みしてしまう。タオル売り場なら軽く1時間はいられると思う。
 
 お金がないひとり暮らしの頃は、タオルの品質なんてどうでもよかった。そこそこ可愛らしい花柄でも付いていればいい程度。今なら赤面してしまうような、大きなブランドのロゴが入った、内祝いなどでもらうタオルも平気で使っていた。 どんなに外側だけを着飾っていても、内側がぼろぼろなのは貧しいことだと気付きはじめたのは、情けないことについ最近だ。そうして、下着やシーツや石鹸といった、毎日身の回りに触れるものに少しだけお金をかけるようになった。本当に少しばかりだけど。 ここに紹介するのは最近の掘り出しもの。「KASANE」という名前が付いた井上千鶴さんのフェイスタオルは、私の(低い)鼻がうずもれるくらいふかふかだ。着物「襲(かさね)」からきているのだろうが、ベージュの裏が葡萄色に染められている。その落ち着いた襲の色目も好きだ。浅葱色や群青色もある。一枚2千円だが、小心者の私はまとめて買えず、一枚ずつ何かの機会に買い足している。

 

タオル

inoue chizuruさんデザインのフェイスタオ ル。とにかく厚くてふんわり。

 

タオル

オーガニックコットンのタオル。洗ってもごわつかない 綿は心地いい。


 友達で、使い心地やデザインの惚れ込んでいるあるメーカーのものを年のはじめに10枚ほどまとめ買いして、それだけを毎日使いまわし、ちょうど一年で新たに10枚買い足すという人がいる。毎日洗っていると、どうしても繊維がいたむので、一年使ったものは雑巾に払い下げるのだそう。
「タオルは意外に目に付くから、デザインを統一させるためにひとつのメーカーのものだけにしているの」
と、友達はいっていた。たしかに、トイレなり、洗面所なり、タオルは来客の目にも付く。どんなに素敵なインテリアでも、でかでかとブランドロゴの入ったタオルは興醒めするものだ。 井上千鶴さんのタオルや、マリンコラーゲン入りのタオルで毎朝、幸せな気分で顔を拭きながらふっと思った。
 タオルはいくらかいいものを買うようになったけれど、そのぶん口紅やファンデーションを買う回数は減ったな、と。意識して内側にお金を掛けているのではなく、無意識のうちに外側にお金を掛けなくなったのかも。きっとこの両方のバランスがとれている女性こそを、みぎれいと言うんだろう。

 

タオル

一番上のタオルは、皮膚の保護、保湿、しわ防止効果があるというコラーゲンを繊維に加工した「マリンコラーゲンタオル」。東急ハンズで入手。やわらかな障り心地。


 第5回『牧野伊三夫さんとマッチ箱のこと』2004.8.23

 イラストレーターの奥村麻利子さんから、「こんな素敵な人がいますよ」と、画家の牧野伊三夫さんを紹介していただいたのは昨年の夏のことだ。
 連絡先を聞いて、すぐに電話をした。突然の電話、しかもできれば急ぎで自宅のロケハンをさせていただきたいというぶしつけな依頼に、彼はあははと笑いながら答えた。
「よかったら今日でもどうぞ。夕方いらっしゃいませんか。ロケハンしながら一杯飲んでいってください」
 小さな子どもの声が受話器から漏れきこえる。1歳の長女です、とのこと。取材で、住まいと、子どもにまつわるデザインで、こだわっているものがあったら見せて欲しいとお願いしていた。
「うーん、そんなお見せできるようなすごいものは何もないと思うけれど……。それでもよければいつでもどうぞ」
 なんと垣根のない人だろうと驚いた。みずしらずの人にここまで自分を開示出来る人を私は知らない。

 電話の翌週、さっそく自宅におしかけた。東京郊外の小高い丘の中腹にその家はある。
 ここは東京なんだろうか、と思ってしまうほど、生い茂る柿の木の緑が濃い。昭和中期と見られる木造住宅が自宅、その裏手に、トイレ共同・風呂なしの木造アパートがあり、自分で改造してアトリエにしている。
 手作りの棚があちこちにあり、家をいとおしみながら暮らしている様子が伝わってくる。約20年前、大学入学の時に買ったという木の机には、『暮らしの手帖』の表紙ラフらしきものがあった。ああ、ここからあの表紙は生まれているのだと思うと、少々緊張した。

 黒縁めがねの奥の人なつっこい目。白の開襟シャツにスラックス。あえて、エアコンをとりつけていないアトリエで、汗をぬぐいながらカンバスに向かう。
「画家というものが社会の中でひとつの職業であるという意識を持っていたい」
 だから会社員がYシャツを着て会社に行くのと同じように、なるべくシャツにスラックス、革靴というきちんとした身なりでアトリエに立つようにしているのだと言う。

 牧野さんと話していると、「身を立てる」という言葉を思い出す。言うまでもなく、生計を成り立たせるという意味だ。牧野さんは、絵で身を立てている。きちんと社会に立って、身を立てている感じが、作品からも、住まいからも、人柄からもにじみ出ている。

 2度目に伺ったあと、ご家族やスタッフと、牧野さん行きつけの焼鳥屋に行った。真っ黒な煤で、元の壁の色がわからないような古い店。牧野さんの子どもに、たのんでいないのにおかみさんが「あいよ、食べな」と、卵焼きか何かの小鉢が出された。
 いいですねここと言うと、「これもいいでしょう」と、彼は店のマッチを差し出した。
「今晩のんで 明日は仕事 大黒屋」
と、明朝体の文字が、縦に大きく並んでいる。
 社会にきちんと立って暮らしている人は、こういうマッチのある店で、杯を傾けるのだなあと思ったら、おかしくなった。あまりにもぴったりすぎると思ったからだ。
 そのマッチは今、私のMacの前にある。のむときはのんで、仕事するときは思いきりまじめに、誠実に。そういう姿勢を私も少しは真似できたら、と思う。
 おない年だけれど、昭和の画家に会ったような、不思議な気持ちに包まれる。印象深い人である。

 

 梅

牧野さんの宝物の一部。山口薫の私家本と、かつて実家で売っていたオリエンタルカレーの
ノベルティスプーン、コレクションのマッチ。『ジャンク・スタイル』より。

 

 梅

きっちり遊んで、きっちり仕事する感じにあこがれを感じ、なんとなく毎日眺めてしまうマッチの標語。

 


 第6回『ミルクガラス』2004.10.22

 夏に、「ふたつ星文庫」という筆名で、友人とアメリカンガラスウエアの本を書いた。オールドパイレックスや、日本ではあまり知られていないヘーゼル・アトラス、フェデラル社のものをとりあげた器の本だ。すると、「それらのコレクターですか」と、ときどき聞かれるようになった。そのたびに、いいえ、好きでいくつかは持っていますが、そういうわけではないんですよ、と答えている。ではなぜこの本を書いたのか。


 そのへんの率直な気持ちを書いた原稿(本書の巻頭言)があるので、ここに転載したい。50年代のガラスウエアについて書いているが、根底に流れている思想のようなものは、暮らしや仕事や生き方すべてに通じるような気がして、読み返すと気持ちが新しくなる。


 滞りがちな本欄の更新を、著書原稿で埋めるのはいかがなものかとも思うが(笑)、自分の産んだ子を一人でも多くの方に読んでいただけたらそれは本望なので、ご容赦いただきたい。

***

 その手にどっしりとした存在感をもたらす厚さ。コーヒーがぼんやりと透けて見える独特の乳濁色。素朴な味わいのある、アメリカの古いガラスの器は、長く使っても飽きない不思議な魅力がある。

 一九一五年、アメリカ・コーニング社が開発した理化学用器具はパイレックス(PYREX)と命名された。「ガラスの熱(PYRO)の王様(EX=王様を意味する言葉の接尾語)」という意味をもつ。高温に耐えられるというそのブランドの技術は、すぐに食器にも応用されるようになった。世界初の耐熱ガラス食器はこうして生まれ、やがて世界中に広まった。


 色を吹き付けたり、練りこんだり、プリントしたり、表面にエンボス加工をしたり……。一九二○年代から六〇年代、パイレックスに続いてアンカーホッキング社のファイヤーキングを筆頭に、さまざまな会社が耐熱ガラス容器の製造に取り組み、そのデザインは百花繚乱、ミッドセンチュリーの遺産を無数に生み出した。そして、いつしか忘れ去られていった──。


 つい何年か前まで、祖母や祖父の家で、透明ガラスにひまわりやデイジーの花模様がついたパイ皿と、不意に出くわしたものだった。それは私たちに不思議なノスタルジーを引き起こしたけれど、それ以上には、このどっしりしたミルクガラスの器の魅力を再確認する機会をもたずにいた。


 しかし、九〇年代、アメリカから飛び火するように日本でも、ファイヤーキングのコレクターズブームが起こる。当然の宿命として、価格も高騰。ウッディなカントリー調の食器棚に、ジェダイのファイヤーキングマグなどが燦然と並ぶ様をみて、私たち二人はわずかな違和感を覚えていた。


 そもそも数十年前までは、アメリカ郊外のひなびたロードサイドのカフェや、バーガーショップなどで使われていたもの。少々乱暴に扱っても割れないし、たっぷり入って機能的で、電子レンジやオーブンに入れても平気。つまり、本来はもっと大衆的なもので、大事に飾っておくものではなかったはずなのに……。
 もうひとつの違和感。それは途切れることのない小さなブームによって現れては廃れていく「ブランド信仰」みたいなものに対する拒否感といえばよいだろうか。ファイヤーキングは、もちろん大好きだ。しかし、この時代にアメリカで作られた耐熱ガラス容器はファイヤーキングだけではない。もっと他にもかわいかったり、美しかったり、ポップだったり、キッチュだったり、ユニークで愛すべき器がたくさんある。そういう隠れた名手たちを、一つでも多くご紹介したい。光をあててやりたい。


 本書は、そんなお節介な親心にも似た目線で企画したものである。そこで日本でも価格が法外に高くなく、使いやすく、魅力的なデザインをしているパイレックス、ヘーゼル・アトラス、フェデラルの三つのブランドを中心に構成してみた。


 使ってこそ楽しいアメリカンジャンクの魅力を、ふたつ星文庫という生活者の目で紹介していきたい。ひとつでもあなたのお気に入りがみつかったら最高にうれしい。(『ジャンク・ウエア』ふたつ星文庫著/平凡社)

 

梅

ジャンクショーやショップでひとつひとつ買い求めたオールドパイレックスのカップ。
握りやすい持ち手のフォルムと、紅茶や珈琲が透ける様をじっとながめているのが好きだ。


 

 第7回『月夜の島唄』 2004.12.14

 雪が降り積もる晩。京都・丹後半島の過疎の集落の、とある一軒家で、初めて古謝美佐子さんの声と出会った。
 

木工作家が住むその家は、山の中腹にある。暖房は囲炉裏一つ。水道はなく、わき水を瓶にためて使っている。 
 

近くに取材に来て、豪雪のために町に戻れなくなった私とカメラマンの女性は、彼の言葉に甘え、一宿一飯の恩義にあずかったのである。
 

煙に燻され、壁も天井も真っ黒なその家で、寒さに震える私達に、彼は炊きたてのご飯をよそい、一枚のCDをかけてくれた。沖縄の唄人、古謝美佐子さんの『天架ける橋』だった。
「サーサー」と、ハリのあるつややかな歌声が、家にこだまする。三線、琉琴、アコースティックギター。電子音に頼らぬ生の音が、がちがちに堅くなった心を、静かに解きほぐしてくれた。 
 

窓から月が見えた。木の引き戸を開け、表に出ると、降り積もった数十センチの雪を、月明かりがやさしく照らしていた。古謝さんは、さーさー、清らかな月夜よ、寝付けなければ一緒に月を眺めて遊びましょうと歌っていた。あまりに幻想的な忘れえぬ一夜である。
 

私は東京に戻り、毎日『天架ける橋』を聴き、そしてついに彼女のコンサートチケットを手にした。
 

途中、マイクを置きアカペラで朗々と歌い出す。母親を亡くしたときに書いたという「天架きる橋」と、孫の誕生を前に書いたという「童神」。知らず知らずのうちに、涙があふれてとまらなくなり困った。逝く命、生まれいずる命。人の輪廻を歌いあげるこの表現力はどうだろう。
 

目を閉じて、ホールに響く彼女の歌声に身を委ねながら、雪の一夜のことを思い出していた。飾りをなくし、余分なものをそぎ落としたときに、初めて本当の良さが伝わる音楽がある。きっと、囲炉裏しかないあの空間だからこそ、とりわけ彼女の歌が直球で胸にしみいったのだろう。
 

s今、幸いなことに私は、目を閉じれば、いつでもあの幻想的な空間にワープすることができる。古謝さんの音楽さえ傍らにあれば。

──『クロワッサン』(マガジンハウス ~最近、心震える音楽聴きましたか~ 
 04年11月10日号掲載・タイトルのみ改題)

 

 梅

丹後の山中で一夜を借りた木工作家・大益牧雄さんの作品。(左側の湯飲み)完成に二年。
木を削っては乾かし、削っては乾かし、途方もない時間をかけて、ひとつの器を作る。
それから大益さんは、骨太で個性的な言葉を操る詩人でもある。

 

 第8回『魅惑のバターナイフ』 2005.05.08

 高いものはひとつも持っていないが、バターナイフをみるとつい吸い寄せられるように手にとって、ためつすがめつしてしまう。


 子どもの頃、マーガリンをたっぷりパンに塗るコマーシャルが繰り返し流れていた。軽く焦げ目の付いた食パンに、あんなにたっぷり塗るのかと、まだ見ぬアメリカ(なぜかアメリカのメーカーだとすぐにわかった)の豊かな朝食の風景を思い浮かべた。


 母はすぐにそのマーガリンを買ってきて、テレビのようにたっぷりと塗りつけた。そのとき、初めてバターナイフが食卓に登場した。こういう道具ですくいといってパンに塗るんだなあとしげしげとながめた。この国の食器とは、全然形も材質も違うんだな、と。ひょっとしたら、それが子ども心に東洋と西洋の違いをハッキリ認識した最初のできごとかもしれない。


 肉を切るのでも、野菜を切るのでもない。パンに塗るだけのために存在する小さくて薄いナイフ。戦後の貧しい時代の話でもないのに、妙にバターナイフは私にとって印象的に映った。

 

 一人暮らしを始めた頃に実家から持たされたのは、引き出物か何かでもらった重い金メッキのもの。杖に花模様のレリーフがほどこされている。ずいぶん長く使ったが、バターやマーガリンなどの中身が減ってくるとナイフのほうが重くなって、容器ごと倒れてしまう。それに、このキンキラ加減はどうも照れくさい。


 以来、あれこれ買ってみては、重すぎ、軽すぎ、杖が長すぎ、短すぎ、木のナイフは油がしみて汚れが取れにくいだの、意外と理想的なものに出会えず時が経ってしまった。


 ここ最近でちょっと気に入っているのは、スパイラルマーケット(青山)で買った純銅製の薄いもの。杖が四角くて持ちやすく、へらの先が徐々になめらかに薄くなっていてすくいやすい。そして軽い。


 バターナイフは、ごく個人的なもので、我が家ではもてなしの場に登場することはほとんどない。いわば非公式の食事の道具だ。だけど、使いやすくてフォルムもキレイで、薄くて繊細なものに出会うと無性に嬉しくなって、ついつい買ってしまう。こんなナイフが食卓にあったら、朝の気分がいいだろうな、くらいの気持ちで買える値段だからこその衝動買いである。


 私はまだ、これぞベスト!というものに出会えていないが、素敵なバターナイフを使っている人はきっと、朝ご飯を大事にしている人にちがいないと推測している。これ、けっこうな確率で当たっている気が。

 

梅

一番下・純銅製のバターナイフ。スパイラルマーケットで購入。
下から2番目・LE FRICHIT PAR STUDIO M'のもの。これでへらの先の幅があと1~2ミリ広いと、使い勝手がいいのに惜しい!
あとのものはどこで買ったか失念。どれも何百円とか高くても2000円以下のものばかり。
安上がりな趣味です。


 第9回『梅支度(うめじたく)』~梅ジュース編~ 2006.06.14

 梅ジュースを作るようになったのは、長男が小学校に入学してからである。


 夏休みの間中、学童クラブで過ごす彼は水筒と弁当を持参している。暑い日差しのもと、どんなに昼寝をしなさい、部屋で遊びなさいと言っても校庭で日がな一日サッカーや野球をしているのですと、指導員の先生が教えてくれた。子どもは遊びが仕事。まあそれもしかたがないですねと首をすくめながら。


 言っても聞かない息子のために、少しでも夏バテしないよう思いついたのが、梅ジュースだ。梅のクエン酸と酢を補給していれば、夏の校庭でも、なんとかなるだろう。

 

 ところが1年目は発酵してしまって大失敗。1キロの梅を台無しにしてしまった。2年目は、分量も梅の実を取り出すタイミングも慎重にした結果、大成功。息子はこれが楽しみでますますはりきって学童クラブに行くようになった。


 5年生の今はいっぱしに、青梅の載った生協のカタログを見て「ああ、今年もこの季節がやってきたなあ~」と、季節を感じる風情でひとり悦に入っている。そして、1年生の妹の分もあるから去年の2倍は作ってくれとリクエストを忘れない。


 梅雨は気持ちも湿りがちだけど、我が家では青い実が元気を与えてくれる希望のシンボル。ガラス瓶の中から、楽しい夏の到来を伝えてくれる。

 

 3週間後。梅雨が終わり、1学期の通知票を手渡される頃、氷砂糖と青い実は透き通った黄金色の液体になり、おいしいジュースに仕上がる。


 こどもたちはそれをちびりちびりと薄めては飲み、毎朝嬉しそうに水筒につめて持ってゆく。


 そしてきっかり1ヶ月後、ジュースはなくなる。ガラス瓶の底がついたら、夏休みは終わり。梅ジュースの減り具合と、子どもの顔の曇り具合は見事に比例していて、「あーあ、終わっちゃった」と言う頃にはきまって、机の上には大量の宿題が残っており、しょげかえる。それを3日ほどで片づけると翌日は2学期の始業式。


 3キロの梅ジュースと、1キロの梅酒を目分量で漬けられるようになった今は、「今年こそ梅ジュースが終わる前に、やつの宿題が終わりますように」と心の中で祈りながら蓋をする。それもまた梅支度の段取りのうちなのだ。

 

梅ジュースのつくりかた
 

梅

1,青梅を洗う。

 

梅

2,よく洗って、つまようじなどでへたをとる。これ、娘の手。


梅

3,水気を拭き、24時間冷凍。その後、煮沸消毒した瓶に氷砂糖と交互に入れる。
酢を加えて3週間経ったらできあがり。
実をとりだし、液体だけを冷蔵庫で保存。水で薄めて飲む。
(梅1キロに対して氷砂糖1キロ、食酢150~200cc )。


 第10回『梅支度(うめじたく)』~梅干し編~ 2006.06.15

ある人のホームページに、梅仕事、豆仕事という言葉が書かれていた。いい言葉だなあと心に残った。ついこの間まで、日本人はみなそうやって、旬の野菜や果物を自分の手で加工し、保存して栄養を補ってきた。そうしながら、季節を感じ、日々の節目を刻んできたのだと思ったら、形だけでも真似たくなった。季節を、人から与えられた情報で知るのは、なんだか惜しいと感じる年齢になりつつある。

“仕事”というほど私はていねいにやっていないのだが、6月になると、梅の準備だけは少しばかり忙しくなる。だから私の場合は梅支度。そんな言葉があるかどうか、わからないのだが。

何か足りなければ、コンビニで事足りる時代に生きているので、こういう手間が少しかかる季節の保存食づくりは、むしろ楽しい。ふだん手抜きもいいところなのに、ちょっとがんばっただけで、手っ取り早く“日本のお母さん”らしい気持ちにさせてくれるのも嬉しい。

梅干しを漬けようと思ったのは、一昨年、『天然生活』の取材で阿蘇のふもとの野中さんというお宅をたずねたのがきっかけである。古民家に親子3人暮らしていて、裏民宿と銘打ち、泊まると奥さんが自然食を作ってくれる。そこで出された梅干しがあんまりおいしいので、漬け方をたずねるととてもシンプルで簡単だった。塩とお日様が作ってくれるというのだ。

ならば私も、と早速トライしたが、昨年は干しすぎて失敗した。今年こそは成功したいが、自信がないので、南高梅は去年と同じ1キロだけ。

梅を漬けると、『塩梅』という言葉の意味が身にしみてわかる。去年は、塩梅を見誤り、半日欲しすぎたために、カラカラになってしまった。(本来は塩梅は塩の加減のことを指す)
人も梅もいい塩梅が本当に大事。やりすぎても、足りなくてもいけない。

私の梅支度は、梅ジュースと梅酒と梅干しを漬けておしまいである。まったくどれも簡単で、仕上がりは驚くほど美味。
自分で作ると、去年の味はこうだった、昨年はこうだったと鮮明に記憶しているからおもしろい。ふだん、これほど鮮明に自分の口にするものを覚えていないだけに興味深いものだ。
野中ファミリー) 

 

梅干しの漬けかた 

1,南高梅1キロを、黄熟するまで室温で放置。へたをとり、水でよく洗い、ざるにあげる。

梅

 

2,焼酎少々をくぐらせたあと、容器に13%の塩と交互に漬ける。
重しをのせると2日ほどで、写真のように梅酢が出る。

梅
    

3,塩が完全に溶け、梅酢だけに。瓶などの容器に移し替え、重しをやや軽くして、1ヶ月ほど漬け混む。

梅

4,土用の晴天の日が来たら、汁気をきってざるにあげ、三日三晩、外で干す。

 

梅

5,いい具合に塩がふいてくる。シソを使わない白干しの完成。

 

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