四谷荒木町クロニクル

上京して最初に働いた街、四谷荒木町で痛飲。
雑居ビルの2階に、編集プロダクションがあり、社員として女性誌の編集に携わった。

細く、いりくんだ路地。傍らのお地蔵様。小さな公園。
料亭の軒先に干されたからすみ。
紫色の看板のカラオケスナック。
安くて夜遅くまでおいしいナポリタンを出してくれるバー「こくている」。

変わったものと変わらないものが混在し、深く考えると悲しくなるのだが
フジテレビが河田町から海の方に移っても
ふんばって街の灯が消えずにあることが
ただ、率直に嬉しかった。

そして3軒はしご。
1軒目で青いビームスのパンプスを履いていたのだが
朝起きて、玄関を見たら、ピンクの(だいぶくたびれた)ジミーチュウのハイヒールに変わっていた。
他人様の靴で、2軒も飲み歩いていたってどういうこと・・・。

(写真)
夢(や愚痴)を語り合った、こくているは健在。
ナポリタンは深夜に食べるときほどおいしくて箸が止まらず、「でぶの敵」と言いながら
結局いつも、完食するのであった。

子育ては祈りである。

<小さな家の生活日記 2018年特別編>

「子育ては祈りである」

 

<著作 新刊こぼれ話はコチラ>

大平一枝の仕事

 

※『別冊 住まいの設計 リライフプラス』Vol.30(扶桑社)
「ブックシェルフハンター」(写真:本城直季、文:大平一枝)〜美術家 田窪恭治さんの本棚
連載「東京オアシス」(エッセイ:大平一枝)〜アトリエ・カバンヌ

※『こどものせかい』付録「にじのひろば」10月号(至光社)(エッセイ:大平一枝「よい記憶、そうでない記憶」)

『小さな家の生活日記』のこと

 

   2001年から11年、毎週月曜日に掲載した連載アサヒ・コム『小さな家の生活日記』。

   あるとき、思いがけずたくさんの方からメールが届いた作品がありました。そのなかには、代表作を何十もお持ちの作家の方も。
ずっと読んでいますよ、と大きく背中を押される励ましの言葉が綴られていました。

 まだまだネットが紙より下に見られていた時代でした。
でも、記者を目指して入社したであろう新聞社で、デジタルの部署に配属された編集者らが、紙に負けないよう必死にもがき、挑み、互いに切磋琢磨していました。(そうでない人も、いなくはなかったことを記しておこう・・・。w)

   夜遅く。または休日でも。校正がガラケーに貼り付けられて届きました。あの時代のデジタルの編集部の多くは、新しい雑誌を創刊するときのような熱気があったように思います。(そうだったところが残っている、今伸びているともいえる)

    無粋な話ですが、原稿料も何段階か、上がりました。雑誌の世界で、原稿料の単価が上がることは、もはやありません。
いいものを、一人でも多くの人にもてもらうために。できるかぎり書く側の待遇の向上にも腐心した、おおげさにいえばデジタルの文章にまつわる黎明期のお話です。
私は彼らの熱に、気圧されるようにして、走り続けることができました。

   どこかで誰かが読んでくれているありがたさを
強く実感した作品を、新刊記念で再掲です。

朝日新聞デジタル&w
<小さな家の生活日記1>伝説のエッセイ『15分の夜道、心のキャッチボール』